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荻窪 教会通り 恬愉堂鍼灸治療院
くずし字解読アプリ

おはようございます。論文などの学術情報検索サービスCiNii(サイニィ)
オープンアクセスのPDF論文や書籍などが閲覧できない状態です。

さて、奈良文化財研究所(奈良市)と東京大学史料編纂所(東京都)は
木簡や古文書の難読文字が読めなくても類似画像を検索できるシステム
木簡・くずし字解読システムMOJIZO(モジゾウ)」のスマートフォン・
タブレット版の公開を始めました。(http://mojizo.nabunken.go.jp/
MOJIZOは2016年3月に公開。解析したい文字画像(1字分)を入力すると、
奈良時代〜江戸時代までの約6000文字種、約30000画像
が収録され、調べたい画像を取り込むと類似画像一覧が表示され解読
に役立てることができます。これまでもスマホなどの携帯端末で使えましたが、
画面が小さいために使いにくかったのです。そのため、今回は解析結果
の表示を8文字から6文字に変更するなど、小型画面サイズに合わせて
デザインを変更。携帯端末で使用する場合の利便性を向上させました。
中国語や英語などの外国語案内も新たに追加されています。

また、木簡や古文書などに特化した汚れを取り除く画像処理のアプリ
MOJIZOkin(モジゾウキン)」(iPhone用)も開発。
携帯端末のカメラを使用し、どこでも手軽に精度の高い解析結果を
得られるようになっています。文字の周りの汚れや背景の木目を取り
除いたり、文字部分の墨を加えるなどしてアプリで画像を鮮明にした後に、
モジゾウで解析するとより高い精度の結果が期待できます。これまでは
パソコンの画像処理ソフトを使用しなければなりませんでしたが、
携帯端末でも手軽にMOJIZOを使用できるようになりました。

昨年3月から今年2月までのMOJIZOのアクセス数22万3533件
で専門家だけでなく、一般にも活用されている模様です。公民館など
で行う古文書教室のほか、刀の銘文を読みたがる「刀剣女子」から
問い合わせがあるとのことです。奈良文化財研究所の渡辺晃宏
史料研究室長は「スマホでより親しんでもらえるだろう」と期待
しているとコメントしています。

モジゾウのURLは(http://mojizo.nabunken.go.jp/)
モジゾウキンのアプリはiPhone用のみ。アップルストア
無料配布しています。要チェックです。  〆

| 古典医薬書 人物 歴史 | 09:07 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP -
『千金方』大医精誠 4

おはようございます。連休も明けて今日から近所の
小学校も本格的に始動という感じです。頑張ろう!!

さて、『千金方』巻一の冒頭に「大医習業・大医精誠第二」
として収録されています。医を業とする者の心構え
記述されています。今日は「大医精誠」の最後です。

【原文】(句点文)
夫為医之法,不得多語調笑,談謔喧嘩,道説是非,議論人物,
耀声名,訾毁諸医,自矜已徳,偶然治差一病,則昂頭戴面,
而有自許之貌,謂天下無双,此医人之膏肓也。 老君曰,人行陽徳,
人自報之,人行陰徳,鬼神報之,人行陽悪,人自報之,人行陰悪,
鬼神害之。尋此貮途,陰陽報施,豈誣也哉。 所以医人不得恃己所長,
専心経略財物,但作救苦之心,於冥運道中,自感多福者耳。
又不得以彼富貴,処以珍貴之薬,令彼難求,自眩功能,諒非忠恕之道。
志存救済,故亦曲碎論之,学者不可耻言之鄙俚也。

【書き下し文】
それ医たるの法、多語、調笑し、喧嘩を談謔し、是非を道説し、
人物を議論し、 声名を衒耀し、諸医を毀し、自ら己の徳を矜る
を得ず、偶然治して一病を差せば、すなわち昂頭戴面して自ら
許すの皃あり、謂へらく天下無雙と。これ、医人の膏肓たり。
老子曰く、人陽徳を行えば人自らこれに報い、人陰徳を行えば
鬼神これに報い、人陽悪を行えば人自らこれに報い、人陰悪を
行えば鬼神これに報い、此の二途を尋るに、陰陽の報施、豈に誣んや。
ゆえに医人己の長ずるところを恃み、専心財物を経略するを得ず。
ただ苦を救うの心を冥道中に作せば、自ら多福に感ずるのみ。
彼の富豪を以て処するに珍貴の薬を以うるを得ず、彼をして
弁じがたからしめて自ら功能を衒うは、まことに忠恕の道に
あらざるなり。志し救い済はんことを存す、故に亦た曲碎に
之を論ず、学者言の鄙俚(ひり)を耻つべからず也。

【現代語訳】
医者たるものは多弁・嘲笑・喧噪であってはならない
是非を説いたり、人物を批判したり、自身の名声を誇らしげ
に示したり、他の医者を誹謗し、自らの徳を誇ったり、
たまたま一病を治しては得意満面となり自負し天下無双
自慢する。これは医者の不治の病である。老子は、
「人が陽徳(人にわかる徳)を行えば人が自然と報い、
陰徳(人にわからぬ徳)を行えば鬼神がこれに報いる。
人が陽悪を行えば自然とこれに報いるし、人が陰悪を
行えば鬼神が害を与える」という。この二つのことを
知れば因果応報のこと、どうして偽りであるだろうか。
したがって医人は自分の長ずる所を恃んで財物を経略
することに熱心であってはいけない。ただ患者の苦悩
を救済する心
をおこせば、自ら多福に感じるだけである。
また彼が富貴であるからと、珍しく高価な薬物を処方して、
彼が買い求めるのに困難なようにして、それにより自らの
効能としてひけらかすのは、誠に患者に対して思いやりの
道ではない。医者の志は患者の救済にあるので、細々と
これを論じたのである。学ぶものはこれらの言の鄙俚
(下品・粗野(比喩的表現))であるのに恥じてはならない。

<参考文献>
1 浦山きか.大医精誠からのメッセージその1〜3.週刊あはきワールド.
2孫真人 著,林億 等校正.『備急千金方要方』.京都:敦賀屋久兵衛,万治二年(1659).
http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/ya09/ya09_00175/index.html

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・『千金方』大医精誠 1
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・『千金方』大医習業

| 古典医薬書 人物 歴史 | 09:17 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP -
『千金方』大医精誠 3

おはようございます。今日は「成人の日」で祝日ですが、
てんゆ堂診療しております。それにしても寒いですね〜。

さて、『千金方』巻一の冒頭に「大医習業・大医精誠第二」
として収録されています。医を業とする者の心構えが記述
されています。今日は3回目の「大医精誠」です。

【原文】(句点文)
夫大医之体,欲得澄神内視。望之儼然,寛裕汪汪,不皎不昧。
省病診疾,至意深心,詳察形候,織毫勿失,処判鍼薬,無得参差。
雖曰病宜速救,要須臨事不惑,唯当審諦覃思,不得於性命之上,
率爾自逞俊快,邀射名誉,甚不仁矣。又到病家,縱綺覊満目,
勿左右顧眄,絲竹凑耳,無得似有所娱,珍羞叠焉,食如无味,
醽醁兼陳,看有若無。所以爾者,夫壹人向隅,満堂不楽,
而况病人苦楚,不离斯須,而医者安然歓娯,傲然自得,
兹乃人神之所共耻,至人之所不為,斯蓋医之本意也。

【書き下し文】
夫の大医の体、神を澄して内視し得て欲す。之を望して儼然、
寛裕汪汪として、不皎かならず昧からず。省り病みて診し疾つ、
至意深心、詳に形候を織毫も失する勿く、処判め鍼薬を察め、
参差することを得ることを無き。病宜く速かに救うと雖も曰と、
須く要く事に臨て惑はず、唯審にし諦にし思を覃ふす当に、
於て性命の上に得れず、率爾にすることを自ら俊快を逞ふ、
射は名誉を邀へ、甚はだ不仁ならん。 又病家に到れば、
縦い綺羅目に満つるとも左右顧眄するなかれ。絲竹耳に奏る
とも娯しむところあるに似得ることなく、珍羞逓薦むとも、
食味無きが如くし、濡禄兼陳すとも失う所あるが如くす。
しかも所以は、それ一人隅に向かえば満堂楽しからず。
況や病者の苦楚斯須も離れざるに、しかも医者安然とす。
これすなわち人神の共に恥ずる所以にして、至人のなさ
ざるところなり。斯れ蓋し医之本意なり。

【現代語訳】
大医の態度は、心を清澄ませて自らの内省に心がけてほしい。
外よりみれば威厳に満ち、寛容で鷹揚として、顔に明暗ない
病を診察するのに、誠意と注意を尽くし、症候を詳細にみて
少しの遺失もなく、鍼・薬を処する判断が錯誤していけない。
病は速かに救うべきである。といっても、必ずことに惑うことなく、
ただ詳細に調べ深く考えるべきであり、性命に関することで軽率
であってはいけない。自ら俊英大悟のふるまいをして名誉を求める
のは甚だ不仁である。 また病家に至ったとき、たとえ美しく飾られ
ていても左右をみることなく、音楽が耳に聞こえてきても楽しい様子
を現してはいけない。珍味を次ぎ次ぎと薦められても味がないように
食し、美酒がならんでも、ないようにしていなくてはならない。古語
に「宴会のとき一人が隅で悲しんでいると、全部の人が楽しくない」
というが、まして病人は少しの時間も苦しみから逃れられないのに、
医者が安らかに娯しみ、倣然として自得するのは人も神も共に恥じる
ところで、十分に道を修めた人はしない所である。思うにこれが
医の本意である。

参考文献
1 浦山きか.大医精誠からのメッセージその1〜3.週刊あはきワールド.
2孫真人 著,林億 等校正.『備急千金方要方』.京都:敦賀屋久兵衛,万治二年(1659).
http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/ya09/ya09_00175/index.html

<関連記事>
・『千金方』大医精誠 1
・『千金方』大医精誠 2
・『千金方』大医精誠 4
・『千金方』大医習業

| 古典医薬書 人物 歴史 | 09:09 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP -
『千金方』大医精誠 2

おはようございます。日本内経医学会研究発表会(参加費無料)が
8日(日)に北里研究所附属東洋医学総合研究所と共催で行われます。

さて、『千金方』巻一の冒頭に「大医習業・大医精誠第二」
として収録されています。医を業とする者の心構えが記述
されています。今日は2回目の「大医精誠」です。

【原文】(句点文)
凡大医治病,必当安神定志,無欲無求,先発大慈惻隠之心,
誓愿普救含霊之苦。若有疾厄来求救者,不得問其貴賎貧富,
長幼妍蚩,怨親善友,華夷愚智,普同一等,皆如至親之想,
亦不得瞻前顧後,自慮吉凶,護惜身命。見彼苦脳,若己有之,
深心凄愴,勿避嶮巇、画夜、寒暑、飢渇、疲労,一心赴救,
無作功夫形迹之心。如此可為蒼生大医,反此則是含霊鉅賊。
自古名賢治病,多用生命以済危急,虽曰賎畜貴人,至於愛命,
人畜一也。捐彼益已,物情同患,况於人乎。夫殺生求生、去生更遠。
吾今此方所以不用生命為薬者,良由此也。其虻虫、水蛭之属,
市有先死者,則市而用之,不在此例。只如鶏卵一物,以其混沌未分,
必有大段要急之処,不得已隠忍而用之。能不用者,斯為大哲,
亦所不及也。其有患瘡痍、下痢,臭穢不可瞻視,人所悪見者,
但発慚愧凄怜憂恤之意,不得起一念蒂芥之心,是吾之志也。

【書き下し文】
凡そ医の病を治すや、必ず当に神を安んじ志を定め、
欲する無く求むる無く、先づ大慈惻隠の心を発し、
誓願して普く舎霊の苦を救うべし。若し疾厄ありて
来たりて救いを求むる者有れば、其の貴賎貧富、
長幼妍蚩、怨親善友、華夷愚智を問うを得ずして、
普く一等を同じうし、皆な至親の想いの如くして、
亦た前を瞻後ろを顧み、自ら吉凶を慮り、身命を
護惜するを得ず。彼の苦悩を見るに、己が之有る
が若くし、深心悽愴、嶮巇を避くる勿く、昼夜寒暑、
飢渇疲労あるも、一心に救いに赴き、功夫形迹の心
を作す無かれ。此の如ければ蒼生の大医と為り、
此れに反すれば則ち是れ舎霊の巨賊たり。 古より
名賢の治病、多く生命を用いて以て危急を済う。
賤畜貴人と曰ふと雖も、命を愛するに至りては、
人畜一なり。彼を損して己を益するは、物情患い
を同じくす、況や人に於いてをや。夫れ殺生して
生を求むるは、生を去ること更に遠し。吾今此の
方に生命を用いて薬とせざる所以の者は、良(まこと)
に此に由るなり。其の虻虫、水蛭の属し市に先ず死者
に有らば、則ち市て而して之を用ること此の例に在らず。
只だ鶏卵の一物の如きは、其の混沌未分なるを以て、
必ず大段要急の処有れば、已に隠忍して之を用いるを得ず。
能く用いざる者は、斯れ大哲為りて、亦た及ばざる所なり。
其れ瘡痍下痢を患ひて、臭穢瞻視すべからず、人の見るを
悪む所有る者も、但だ慚愧、悽憐、憂恤の意を発し、
一念蒂芥の心を起こすを得ざるは、是れ吾が志なり。

【現代語訳】
そもそも医者たるものは治療に際して、必ず精神と
志意とを安定
させ、己の欲求を優先させることなく、
まず大いなる慈しみ哀れみの心を発して、広く生き
とし生けるものの苦を救う
ものであると、誓願を立て
るべきである。もし病苦があり救いを求めるものが
あれば、その貴賎・貧富・年齢・美醜・敵味方・
漢民族か異民族か、賢いか愚かかなどにこだわらず、
全て同じように等しく扱い、みな身近な親族のように
思いなさい。後先について悩んだり、自分の吉凶を
気にかけたり、自分の生命を護り惜しむようなことは
してはいけない。患者の苦悩を見て、自分の苦悩
あるかのようにして、心に哀しみ悼む思いを深くし、
危難を避けることなく、昼夜・寒暑を問わず、自分が
飢え渇き疲労していたとしても、一心に救いに従事して、
人にその効を誇る心や外見をみせる心があってはいけない。
これができれば万民のための大医となるであろうが、
これに反するようであれば人々の大賊となるでしょう。
昔から名医の治療は、多く生命あるものの危急を救ってきた。
卑しいとされている動物でも尊いとされている人間でも、
己の命が愛おしいという点においては同じである。いずれか
の生命を損なってまで自分の生命を益すことは、価値ある
生を生きる物がみな苦しみを共にするものであるから、
それが人であればなおさらである。殺生をして別の生を
求めることは、生命の道からさらに遠ざかることになる。
私が生命あるものを薬として用いないのは、以上のような
わけである。虻や蛭のようなものが、市場で売られている
時点ですでに死んでいたものを購入して使うのは、この限り
ではない。ただ鶏卵に関しては、まだ陰陽に分かたれない
混沌の状態であることから、緊急事態においては止むを得ず
用いることがある。これらを用いずに済むのは、道理に
すぐれた大哲のレベルであり、私はそこまでには至らない。
病人ができもの、傷、下痢を患い、その臭いと汚さに
正対できず、人が嫌悪を感じるような患者がいたとしても、
ただそうした自分を恥じ、つらく悲しく、憐れみ何とか
してあげなければと思い定めて、少しもつまらぬ気持ちを
起こさないようになること
、それが私の目標である。

参考文献
1 浦山きか.大医精誠からのメッセージその1〜3.週刊あはきワールド.
2孫真人 著,林億 等校正.『備急千金方要方』.京都:敦賀屋久兵衛,万治二年(1659).
http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/ya09/ya09_00175/index.html

<関連記事>
・『千金方』大医精誠 1
・『千金方』大医精誠 3
・『千金方』大医精誠 4
・『千金方』大医習業

 

| 古典医薬書 人物 歴史 | 09:02 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP -
『千金方』大医精誠 1

おはようございます。昨日は「小寒」でした。寒中ですから
これからが寒さも本番です。近所の公園の池も凍っていました。

さて、去年の夏に北里大学で開催された11回「鍼灸学校教員
のための古典講座」において
大医精誠」の講座
がありました。とても興味深かったので年始にアップしてみます。
大医習業・大医精誠は唐代の孫思邈(そんしばく。581-682)
により著された『千金方』巻一の冒頭に「大医習業・大医精誠第二」
として収録されています。医を業とする者の心構えが記述されています。
今日から4回に分けて「大医精誠」です。

【原文】(句点文)
大医精誠
張湛曰,夫経方之難精,由来尚矣。今病有内同而外異,
亦有内異而外同,故五臓六腑之盈虚,血脈営衛之通塞,
固非耳目之所察,必先診候以審之。而寸口関尺有浮沈弦緊之乱,
腧穴流注有高下浅深之差,肌肤筋骨有厚薄剛柔之異,唯用心精微者,
始可与言於兹矣。 今以至精至微之事,求之於至粗至浅之思,豈不殆哉。
若盈而益之,虚而損之,通而彻之,塞而壅之,寒而冷之,熱而温之,
是重加其疾而望其生,吾見其死矣。故医方卜筮,芸能之難精者也。
既非神授,何以得其幽微。 世有愚者,読方三年,便謂天下無病可治,
及治病三年,乃知天下無方可用。故学者必須博極医源,精勤不倦,
不得道听途説,而言医道已了,深自誤哉。

【書き下し文】
大医精誠
張湛曰く、夫れ経方の精なり難きは、由来せること尚しきなり。
今病に内に同じうして外に異なる有り、亦た内に異なりて外に
同じき有り、故に五蔵六腑の盈虚、血脈営衛の通塞、固より
耳目の察するところに非ずして、必ず先ず候を診て以って之を
審らかにす。而るに寸口関尺に、浮沈絃緊の乱有り、兪穴流注に、
高下浅深の差有り、肌膚筋骨に、厚薄剛柔の異なる有り。唯だ心
を用いること精微なる者のみ、始めて与に茲に言うべきなり。
今 至精至微の事を以て、之を至粗至浅の思に求むれば、其れ
殆ふからざらんや。若し盈つれば之を益し、虚すれば之を損ない、
通ずれば之を徹し、塞がれば之を壅ぎ、寒なれば之を冷やし、
熱なれば之を温む、是れ重ねて其の疾を加へて、其の生を望むれば、
吾其の死を見るなり。故に医方卜筮は、芸能の精なり難き者なり。
既に神授せらるに非ざれば、何を以て其の幽微を得ん。 世に愚者
有りて、方を読むこと三年、便ち天下に治すべき病無しと謂ひ、
病を治すること三年、乃ち天下に用ふべき方無きを知る。
故に学者は、必ず須らく博く医源を極め、精勤して倦まず、
道聴塗説するを得ざるべきなれば、医道已に了はれりと言ふは、
深く自ら誤てるなり。

【現代語訳】
大医精誠
張湛は、「そもそも経方に精通するのが難しいことは、昔からである」
という。今、考えてみると、中身が同じでも外見が異なっていたり、
中身が異なっていても外見が同じであったりするものがある。
したがって五臓六腑の虚実や血脈栄衛の通塞は、もとより
や目のみでとらえきれるものではない
。必ずまず脈を診て詳細
な判断を下すべきである。そして脈の寸口尺関に浮・沈・絃・緊
など多数あり混乱しやすく、穴位は高低・深浅の差があり、
皮膚・筋肉にそれぞれ厚さや剛柔に差異がある。だからこそ
細かなところまで心を用いて初めて医学(診断)の話ができる。
診断というきわめてデリケートな内容に、雑な思考で対処するなら、
危険でないことがあるだろうか
。もし実証であるのにこれを補い、
虚証であるのにこれを瀉し、通じているのにさらに通し、
塞がっているものを塞ぎ、寒であるのにこれを冷やし、
熱であるのにこれを温めるのは、その疾病をさらに悪化
させているだけで、患者の回復を願っていたとしても、
私はその死を見ることになる。したがって医方と占いは、
芸能のうちでも精通しにくいものである。それが神仙に
でも授けられたものでなければ、どうやってその奥深い道理
を会得することができるだろうか。 世の中に愚者がいて、
方書を読んで三年になると、もう天下に自分が治療するのに
足る病はない
といい、治療に当たるようになり三年にして、
天下に適応する薬方が無いことを知るのである。したがって
医を学ぶ者は必ず医の源流を極め尽して、精勤して倦まない
ようにするべきである
。そこらで小耳に挟んだ言葉になど
耳を傾けずにいるべきで、その程度で医道を極めたと言って
はいけない。それは深く自らを誤るものである。

<参考文献>
1浦山きか.大医精誠からのメッセージその1〜3.週刊あはきワールド.
2孫真人 著,林億 等校正.『備急千金方要方』.京都:敦賀屋久兵衛,万治二年(1659).
http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/ya09/ya09_00175/index.html

<関連記事>
・『千金方』大医精誠 2
・『千金方』大医精誠 3
・『千金方』大医精誠 4
・『千金方』大医習業

 

 

 

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『千金方』大医習業

明けましておめでとうございます。てんゆ堂本日より
通常診療しております。本年もよろしくお願いいたします。

さて、去年の夏に北里大学で開催された11回「鍼灸学校教員
のための古典講座」において
大医精誠」の講座
がありました。とても興味深かったので年始にアップしてみます。
大医習業・大医精誠は唐代の孫思邈(そんしばく。581-682)
により著された『千金方』巻一の冒頭に「大医習業・大医精誠第二」
として収録されています。医を業とする者の心構えが記述されています。
鍼灸師さんも新年に襟を正して読まれよ!! まずは「大医習業」です。

【原文】(句点文)

大医習業

凡欲為大医,必須諳素問、甲乙、黄帝鍼経、明堂流注、十二経脈、
三部九候、五臓六腑、表裏孔穴、本草、薬対、張仲景、王叔和、
阮河南、范東陽、張苗、斳邵等諸部経方。又須妙解陰陽、禄命、
諸家相法、及灼亀、五兆、周易、六壬、並須精熟。如此乃得為大医。
若不爾者,如無目夜遊,動致顛殞。次須熟読此方,尋思妙理,留意鑽研,
始可與言於医道者矣。又須渉猟群書。何者,若不読五経,不知有仁義之道,
不読三史,不知有古今之事,不読諸子,睹事則不能黙而識之,不読内経,
則不知有慈悲喜捨之徳,不読像荘老,不能任真体運,則吉凶拘忌,触塗而生。
至於五行休王,七耀天文,並須探賾。若能具而学之,則於医道無所滞礙,
盡善盡美矣。

【書き下し文】
大医習業
凡そ大医たらんと欲すれば、必ず須く『素問』『甲乙』『黄帝鍼経』、
『明堂流注』、十二経脈、三部九候、五臓六腑、表裏孔穴、『本草』『薬対』
張仲景、王叔和、阮河南、范東陽、張苗、斳邵等の諸部経方を諳んずべし。
又須く陰陽、禄命を妙解し、灼亀、五兆、『周易』、六壬に及ぶまで、
並びに須く精熟すべし、此くの如しければ乃ち大医と為らん。
もし爾らざれば、目無くして夜遊するがごとくして、動もすれば
顛殞に致る。次に須く此方を熟読し、妙理を尋思し、留意鑽研
するべきにして、始めて与(とも)に医道を言ふべき者なり。
又須らく群書を渉猟すべし。なんとなれば、もし五経を読まざれば、
仁義の道有るを知らず、三史を読まざれば、古今の事有るを知らず、
諸子を読まざれば、事を覩れば、則ち黙して之を識る能はず、
『内経』を読まざれば、則ち慈悲喜捨の徳有るを知らず、荘老を読まざれば、
真に任じ運を体すること能はざれば、則ち吉凶の拘忌、触塗にして生ず。
五行の休王、七耀、天文、並びに須らく探頤すべし。もし能く具へて
之を学べば、則ち医道に於いて滞礙する所無く、尽善尽美なるべし。

【現代語訳】
大医習業
そもそも大医となろうと思うならば、必ず医経としては『素問』、
『甲乙経』、『黄帝鍼経』(霊枢)、『明堂流注』、「十二経脈」、
「三部九候」、「五臓六腑」、「表裏孔穴」に関する内容、経方に
属するものとしては『本草』『薬対』と、張仲景・王叔和・阮河南・
范東陽・張苗・斳邵らの記した諸家の経方書を諳んじるまでになる
こと
である。また占術にも精通し、「陰陽」「禄命」「諸家相法」や
「灼亀」「五兆」『周易』「六壬」も奥深いところまで理解すること
である。それではじめて大医となることができる。もしそうでなければ、
目がみえないで暗夜を行くようで、ややもすれば転倒して死ぬ。
次にこの『千金方』を熟読暗記すべきである。その妙理を尋ね思い、
意を留めて研鑽して、初めてともに医道について発言できるものである。
また多くの書を渉猟しなければならない。というのは、五経(儒教で基本経典。
易経・書経・詩経・礼記・春秋)を読まないと、仁義礼智信の道があることを
知らないし、三史(史記・漢書・後漢書または東観漢記)を読まないと、
古今に名分のあることを知らない。諸子(孔子・老子・荘子・墨子・孟子・
荀子などの人物)を読んで事をみることをしないと黙織(言葉に出さないで事柄
の道理を悟ること)できない。『内経』を読まないと、慈悲喜捨の徳があること
を知らない。『荘子』『老子』を読まないと、自然のままに体を運用すること
ができず、吉凶拘忌の縁起をかつぐことが事にふれて生じる。五行の運行静止
や日月五星の天文に至るまで、みなその理を探し明らかにしなければならない。
もしこれらを具えて学べば、医道において、善美を尽くすこととなり、凝滞
するところがない
であろう。

<参考文献>
1浦山きか.大医精誠からのメッセージその1〜3.週刊あはきワールド.
2孫真人 著,林億 等校正.『備急千金方要方』.京都:敦賀屋久兵衛,万治二年(1659). http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/ya09/ya09_00175/index.html

<関連記事>
・『千金方』大医精誠 1

 

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盗掘

おはようございます。昨日は臨時休診を頂きました。
本日は通常診療しております。それにしても暑くなりました。

さて、中国国内には手つかずのままの古代遺跡古墳
などが多数あります。これらには装飾品や陶器以外に木簡竹簡
(紙の発明・普及以前に書写の材料として使われた木竹で出来た札)
帛書(はくしょ。絹を書写材料として用いて文字を書いた総称)
による散失されたとされている記録や医書などが保存されている
可能性が高いのです。

中国では一獲千金を狙った古墳の盗掘が後を絶たないのです。
骨董品の収集家と盗掘団、仲買人は闇でネットワーク化され、
背景にはブームに押された骨董品の価格高騰があり当局の
文化財保護対策は追いついていないようです。日本の
文化財保護法」のような法律もないのでしょう。

例えば、河南省洛陽は中国の歴史上、後漢や三国時代の魏
などの王朝が都を置いた有数の古都です。郊外の農村には
小高い山が連なり、多くの皇帝や貴族などの墓が残されています。
盗掘団は「トウモロコシが育った時が俺たちの出番」だそうで、
夏から初秋にかけて背が高くなったトウモロコシを格好の目隠しに、
数人のグループで夜陰に紛れて盗掘に向かうそうです。墓の場所は
風水で決められていることが多く関連の知識を持っているのです。
そして各地の盗掘団と連携して組織化されているというのです。

中国当局は相次ぐ盗掘に対して、ここ数年で摘発を強化しています。
摘発数は公表されていませんが中国社会科学院考古研究所の安家瑶研究員
は「毎年、数百件」と推測しています。遼寧省の公安当局は古代の遺跡や墓
を盗掘して埋蔵物を売りさばいたとして10の盗掘団のメンバー計175人
を拘束しています。押収した盗掘品は新石器時代−清朝時代の回収できた
だけでも翡翠の装飾品や玉製品や陶器など1168点に上り、時価総額は
5億元(約99億円)以上というのです。盗掘事件としては過去最大
規模で「新中国成立以来最大の盗掘案件」(中国紙)とされています。

拘束者には博物館職員考古学研究所の技術者ら4人の公務員
も含まれているというのです。盗掘グループは新石器時代に現在
の内モンゴル自治区や遼寧省などにかけて存在した紅山文化
(翡翠などの石を動物や竜の形に彫った装飾品で知られている)
の遺跡や墓を中心に盗掘していたようです。

この事件は氷山の一角です。専門家も連携して組織化している
盗掘団には目的がはっきりしています。以前にも香港に持ち込まれた
中国医学に関わる貴重な竹簡が良好に保存され香港に持ち込まれています。
竹簡は乾燥すると反ったり判読できにくくなるので、きちんと
水溶液に浸けられていました。最終的に北京大学が買い取った
という話も漏れ聞いています。専門家がどこに何があり、
その専門家が買い手先を斡旋している可能性があり、
専門家は文化財保存もできて、あぶく銭を盗掘団と山分け
しているという訳です。さすが中国メンタルですなぁ〜。

国家文物局は盗掘や違法な文化財の売買を防ぐため、
通報センター」を設置、積極的な情報収集も始めています。
紅山文化の遺跡が多い遼寧省朝陽市の警察当局は文化財に
関する犯罪を扱う専門部署を新設して対策を強化しています。 〆

<関連記事>
・『医心方』 1〜3
・『肘後備急方』 
・『東医宝鑑』 1・2
・『扁鵲心書』 1〜7
・『雙梅景闇叢書』 1〜6
・食養生・薬膳1〜6
・ノーベル賞 中医薬 1〜5
・医療用ヒル 1〜4
・扁鵲 「六不治」 1・2
・刺絡(シラク)
・曹操の頭痛 1〜6
・古今東西 鍼灸事情 1〜7
・鍼灸と仏教 1〜10
・アイスマン 鍼起源説 1〜3

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追悼・大滝詠一 2
おはようございます。首都圏で麻疹(はしか)が流行中
特にお子さんは罹患しやすいのでよく観察してあげましょう。

さて、2013年12月30日にミュージシャンの大滝詠一さん
(65)が死去しました。2014年3月21日には「お別れの会」が、
都内のSME乃木坂ビルで営まれ250人が参列した模様です。
大滝さんを偲んでその足跡をたどりながらJ・POP
に果たした影響とその流れをみていきます。

大滝さんは「はっぴいえんど」(1969〜1972)解散後は
CMソングの制作や自らが作詞・作曲・編曲・プロデュース・
エンジニア・原盤制作などをこなすプライベートレーベル
ナイアガラレコード」を設立します。米国のディープソウル
ドゥーワップなどのサウンドを取り入れ、後期ビートルズ
のようなスタジオワークで独自の「ナイアガラサウンド
を確立しています。「はっぴいえんど」と同時代のア・カペラ
やドゥーワップが好きな山下達郎(1953〜)を中心に結成された
シュガー・ベイブ」(1973〜1976)は当時はまだ珍しかった
メジャー7th分数コードなどのコード・プログレッションを多用し
コーラスワークに重点を置いた音作りでした。多重録音による
1人ア・カペラ」など音楽作りに対する独自の制作姿勢は「音の職人
とも呼ばれています。大滝さんはシュガー・ベイブのアルバム『SONGS
でプロデュースを手掛けていますし、山達さんは大滝さんのソロアルバム
NIAGARA MOON』(1975年)や『NIAGARA CALENDAR
(1977年)にコーラスやストリングス・アレンジで参加しています。
言わずと知れた山達さんの奥さんは竹内まりや(1955〜)です。
サウンドの作り方が似ていますよね。ヴォーカルが入っていない
オケでも十分聞けるクオリティーです。

1979年からはプロデュース業を手掛け旧友である松本隆(1949〜)
と組んで『さらばシベリア鉄道』で初めてのヒットシングルになります。
1981年に名盤A LONG VACATION』を発表し
第23回日本レコード大賞・ベストアルバム賞」を受賞しています。
大滝さんのプロジェクト「ナイアガラ・トライアングル」に
佐野元春(1956〜)は杉真理(1954〜)とともに参加しています。
佐野元春はその後の1982年、アルバム『SOMEDAY』でブレイク。
音の作り方やヴォーカルの録り方が似ていますね〜。
その後も大滝さんは松本隆と組んで『風立ちぬ』や『うなずきマーチ』、
冬のリヴィエラ』、『熱き心に』など80年代の代表曲に
関わります。1984年のアルバム『EACH TIME』制作
して歌手活動を休止します。その後はレア音源の復刻の監修や
ライナー執筆、ラジオの特別番組のDJなどを手掛けます。
1997年には新曲『幸せな結末』を発表し月9ドラマ
ラブジェネレーション』の主題歌としてミリオンセラーを達成
しています。2004年末には自宅にマスタリング用の器材を導入し、
福生45スタジオが復活させナイアガラ旧譜のリマスターなどを
行っていたようです。そして2013年末に「解離性動脈瘤
(カイリセイドウミャクリュウ)で65歳急逝しました。(合掌)

大滝さんの先駆的なワークスは自宅にスタジオを持ち、ミュージシャン
主導で自主レーベルを持ち、プロデュースクレジットを入れ、
本格的なCMソングをミュージシャンが担い、シングル盤にカラオケ
バージョン
を入れるなど現在ではスタンダードになっていることを
導入した人です。大滝さんのマニアックやオタクともいえるサウンド嗜好
ラップが米国で流行る前からソレらしいことを既に日本でやっています。
また日本の歌謡曲・演芸にも精通し日本語ロック草分け的
な存在
であり英語の発音からインを踏んだ歌詞などの先駆的なことを
J・POP黎明期から行っていました。なんと言っても楽曲の良さ
独自のサウンド構成は一度聴いたら忘れられません。
ミュージシャンズ・ミュージシャンであり、日本のポピュラー音楽
に与えた影響には小さからぬものがありますね。『レコード・コレクターズ
(2014年4月号)で大滝さんの特集をしているので興味のある方はどうぞ。

J・POP黎明期を作った人々もおおかたはもう60歳代です。
そりゃ〜自分も歳取るわけですよ〜。昭和は遠くになります。 〆

<関連記事>
・追悼・大滝詠一 1
 
| 古典医薬書 人物 歴史 | 09:08 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP -
追悼・大滝詠一 1

おはようございます。住まいの近くの妙正寺川沿いのしだれ桜満開です。
清清しい朝なのでちょっと遠回りして桜をめでて通勤する風流なワタシ。

さて、2013年12月30日に「解離性動脈瘤」(カイリセイドウミャクリュウ)
によりミュージシャンの大滝詠一さん(65)が死去しました。
「解離性動脈瘤」の話でもと思いましたが大滝さんのJ・POP
への貢献度も大きいので、いつもと赴きを変え今日は邦楽の話です。

大滝さんは「福生の仙人」なんて呼ばれ隠遁生活をしていました。
福生(フッサ)は米軍基地もありちょっと日本の風景と異なるエリアです。
去年亡くなった山口富士夫(1949〜2013)さんは日本人
の母とイギリス人の父の間に生まれです。グループ・サウンズ
ザ・ダイナマイツ」のギタリストとしてデビュー。リードボーカル
を務めたデビュー曲『トンネル天国』はスマッシュヒット。
その後、日本のロックバンドのパイオニアとして独自なスタイルを築いた
村八分」で活躍し、バンドブームの時代には「ティアドロップス
などの数々のバンドやソロで活躍しました。その彼も福生に住んでいました。
RCサクセション忌野清志郎(1951〜2009)も若かりし頃
は福生に住んでいました。みんな死んでしまったな〜。(涙)

大滝さんの足跡をたどりながらJ・POPの流れをみていきます。

1948年、岩手県生まれの大滝さんは高校生の時に米国の海外基地
在住の軍人軍属とその家族向へテレビとラジオと通じて情報や
エンターテイメントを提供するFEN(Far East Network:極東放送網
ビートルズを知り以降リバプール・サウンドを買いまくったらしい。
1968年に早稲田大学第二文学部に入学し、後にYMOなどでも活躍する
細野晴臣(1947〜)らと出会い、1970年「はっぴいえんど
(1969〜1972)としてアルバム『はっぴいえんど』でデビュー。
メンバーはドラムと作詞担当の松本隆(1949〜)、ベースは細野晴臣
ギターは鈴木茂(1951〜)です。本人はヴォーカル・ギターです。
若い人でも「風をあつめて」などは耳にしたことがあるかも!?
60年代のフォークブームの後、ビートルズや米国のサウンドを取り入れ
日本語ロックの草分け的な存在のバンドです。当時、自家用車も
普及し始める時期ですから、車からユーミン(1954〜)などの
ニューミュージックが流れるわけです。ユーミンのご主人で
アレンジャーの松任谷正隆(1951〜)は1973年に細野晴臣らと
キャラメル・ママ」(後の「ティン・パン・アレン」)を結成します。
ちょっと路線はずれますが矢沢永吉(1949〜)など広い意味での
団塊世代が現在のJ・POPの基礎を築き牽引してきたのです。

大滝さんは「はっぴいえんど」活動中の1971年にはソロ活動を
開始しています。はっぴいえんど解散後はシンガーソングライター
としてソロ活動せず、当時としては異例のCMソングの制作に携わります。
1974年には自らが作詞・作曲・編曲・プロデュース・エンジニア・原盤制作
などをこなすプライベートレーベル「ナイアガラレコード」を設立します。
1975年にははっぴいえんど解散後初となるソロアルバムを発表。
1976年にコロムビアレコードに移籍した際の契約で福生の45スタジオ
に当時最新鋭の16チャンネルのマルチトラックレコーダーの提供が
含まれていたようです。大滝さんの一連のアルバムは『NIAGARA ○○
というものです。スマシュヒットはしたようですがディープソウル
ドウーアップなどを取り入れた完成度の高い楽曲が当時には早すぎた!!
趣味性の強すぎる楽曲が災いし売り上げが低迷し契約解除となっています。
             つづく・・・

<関連記事>
・追悼・大滝詠一 2
 

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曹操の頭痛 6

おはようございます。吉祥寺にある名物焼き鳥屋「いせや公園店」が
老朽化建て替えで6月末をめどに営業休止するそうです。残念・・・

さて、南宋代(1127〜1279)の鍼灸家「王執中(オウシチュウ)」
(生没年不詳)が編著した『鍼灸資生経(シンキュウシセイケイ)』七巻
(1165年成。1220年刊)があります。前漢代(紀元前206年〜8年)
末期に成立したとされる最古の鍼灸経典『明堂孔穴鍼灸治要
(メイドウコウケツシンキュウチヨウ)』などの多くの鍼灸関係の文献を引用し、
多くの有効な経穴を見出し自己の臨床経験と意見を加味した
鍼灸学書です。360種の経穴を疾患別に対応させ、その主治と
刺鍼法、臨床経験、験方、医案(カルテ)などが記載されています。
巻一は人体の部位別に腧穴が論じられ『素問』、『明堂孔穴鍼灸治要』、
(黄帝三部)鍼灸甲乙経』、『銅人腧穴鍼灸図経』などから引用した
46幅の経穴図が附されています。

その巻一には<脳空二穴、一名顳顬。在承霊後寸半。夾玉枕、骨下陥中。
鍼五分、得気、即瀉。灸三壮。曹操、患頭風。風発、即心乱、目眩。華佗鍼、
立愈。忌同。素注云、按脳空、在枕骨後、枕骨上。甲乙経作、玉枕骨中。>
脳空というツボの別名や経穴部位、治療法が述べられ、
後の明代(1368〜1644)の「高武(コウブ)」(生没年不詳)が撰著した
鍼灸聚英(シンキュウジュエイ)』四巻(1519年成・1529年刊)
と同じように
曹操の記述があります。「曹操(ソウソウ)」(155〜220)
慢性頭痛を患い、頭痛発作が始まると心が乱れてめまい
が起こり神医「華佗(カダ)」(生没年不詳。? 〜208?)がすると
即座に愈えたとあります。避けるべき食物は同じ(「神庭」の記載では
生冷鶏猪羊酒麦など動風させる食物は避けるとあります)。
素問』の注釈では「脳空」は後頭骨の後方で後頭骨の上に位置します。
(黄帝三部鍼灸)甲乙経』では玉枕骨(外後頭隆起の上縁)とあり、
「脳戸」は「匝風」とも「会額」とも呼ばれ、督脈と足太陽の交会穴で、
ここで経脈が別れて脳へ入る。灸をしてはならない。
人を喋れなくする(『素問・刺禁論』は頭を刺し、脳戸へ当たり、
脳へ入ると直に死ぬという。王冰は灸五壮と注釈していますが、
素問・骨空論』ではみだりに灸をするなとしています。
銅人腧穴鍼灸図経』では禁灸点で、灸すれば人を喋れなくする・・・
ちょっと横道に逸れたので修正。
明代の『鍼灸聚英』は前代である南宋代の『鍼灸資生経』を参考にした事
が解りますね。このように鍼灸や漢方(湯液)の東洋医学は受け継がれ
続けている伝統医学なんだなぁ〜と実感できますね〜。

ついでに日本の江戸時代中期に30余年の歳月をかけ大坂の医師
寺島良安(テラシマリョウアン)」(生没年不詳)により編纂され、
正徳ニ年(1712年)に出版された挿絵入り百科事典である
和漢三才図会(ワカンサンサイズエ)』105巻の中には、
「脳空」は「頭風痛み忍ぶ可からざる者は、此を刺さば立どころに癒ゆ
とにあります。頭痛または後頭神経痛などに有効です。

  十二官不相失者寿(2)     
  
中国は後漢代(25〜220)の神医華佗には弟子がおり、
その一人「樊阿(ハンア)」は師匠の華佗より鍼術のみを受け継ぎ
同じように神医と呼ばれた鍼名人になりました。
鍼の名医として現代鍼医療の始祖と仰がれています。
樊阿は背中に1〜2寸の深の鍼を打ち、 「巨闕(コケツ)」(横隔膜)や、
「胸臓」(肺) に5〜6寸(約12cm)の深さにまで打ち病気を治して
魅せたと言われています。

鍼灸治療は脈々と受け継がれ、日本に伝来して1500年以上
経過する、江戸時代まで医療の主役の一端を担っていた伝統医学
です。しかし明治の西洋化と共に鍼灸漢方薬の伝統医療は表舞台を去り、
細々と命脈を保ってきました。しかし現代では医師の90%以上
漢方薬を処方しています。鍼灸はまだまだな部分もありますが、
米国では保険適応されているくらい、その有効性が認知されています。
後漢代以前からある鍼灸って本当に素晴らしい伝統医学なんですよ。
                      〆
<関連記事>
・曹操の頭痛 1
・曹操の頭痛 2
・曹操の頭痛 3
・曹操の頭痛 4
・曹操の頭痛 5
・頭痛の種類 1〜3
・クモ膜下出血:SAH 1〜4

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